私の出産: マリエンホスピタル (20136)

 

2013617日(月)に2790gの女の子をマリエンホスピタルにて無事出産することができました。10%以上の体重減少と新生児黄疸のため、入院が長引いてしまい、産後7日目でやっと退院できました。

 

私の出産は、私の不徳の致すところ、完全に準備不足の中、出産が始まりました。出産予定日が73日で、6/15(土)まで予定が詰まっていたので、6/16(日)に入院と出産の準備をしようね、名前も決めようね、と前日に主人と話していたのに、6/16(日)の朝方am5:55に出産している夢を見て目が覚めたら、破水(おりもののような極少量)していて、入院準備もまだ、名前も決まっておらず・・・大慌てで入院準備をして病院に向かいました。前夜もホームパーティに行っていて帰宅が深夜でほとんど眠っていない睡眠不足、体調も風邪で咳と鼻詰まりがひどい状態だったので、この最悪のコンディションで出産が始まることに、果たして陣痛時、呼吸法などできるのだろうか?と、とても不安になりました。

 

初めての出産は、人生の中で最も素晴らしい経験になりました。主人はいくつかのシーンで泣いていて、出産後、感想を尋ねてみたら、「出産は、昔は命を落とすほどのものだった訳だから、大変なものだとは思っていたけれど、それでも、想像を絶するものだった。壮絶だった。」と言っていました。私も同じ感想です。出産2日後、自分の赤ちゃんを取り上げてくれたHebamme(助産師)に御礼を言いに行ったら、「あなたはとても我慢強く頑張った。いいお産だったよ。」と言って頂き感激しました。

 

産後の私は、出産の興奮と感動が1週間は続いてほとんど眠れませんでした。入院期間中、夜中も含めて積極的にStillzimmer(授乳室)に通うようにしたところ、母乳育児やその他の多くのことを学ぶことができました。母乳育児指導に力を入れているマリエンホスピタルでは、出産後、病棟に移った直後から母乳育児指導が始まり、最初は、少し厳しい感じがしたけれど、通い続けている内に、理に適った極めてプロフェッショナルな指導であることを感じ、私は段々楽しくなってきて、ここで教えてくれる全てのことは、退院後の自分の生活を、おおいに助けてくれるものだと確信しました。入院期間は長かったけど、本当に楽しい入院生活で、スタッフの皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。

 

以下、出産の経過です。

 

616日(日)】

5:55     破水

7:40     Marien Hospital

8:00     Hebamme(助産師)による内診、子宮口指1本分開。

9:30        Dr.による内診。Hebammeより、歩いたりして、次回は11:00Kreißsaal(分娩室)に来るよう指示されるも、風邪と睡眠不足で体調が悪過ぎるため、病棟のベッドで横になって体力温存。

11:00    分娩監視装置にて赤ちゃんの心拍問題無。陣痛無。

12:30    病院食の昼食。思いのほかおいしい。次回は14:00Kreißsaalに来るよう指示有。

14:30    日本人Hebamme高野さんに会う。分娩監視装置にて赤ちゃんの心拍問題無。陣痛無。子宮口指1.5本分開。

陣痛がつきやすくなる効果を期待して、浣腸することを提案される(するかどうかは自分で決める)。浣腸、難なく終えた。

15:50      自然陣痛起こらず、高野さんより、1時間お散歩してくるよう言われ、まだ決まっていない名前について夫婦で相談。

16:50      分娩監視装置にて赤ちゃんの心拍問題無。陣痛無。

破水の場合、感染症のリスクがあるため、破水後12時間以内に抗生剤を開始しなくてはならないとの説明有。抗生剤の点滴注射開始(その後、8時間毎に抗生剤点滴投与)。鼻詰まりの薬もらう。

17:50      破水して時間が経っても、自然陣痛が起こらないため、陣痛促進剤(カプセル剤)内服。

18:15      病院食の夕食。典型的なドイツのカルテスエッセン(黒パン2枚、ハム1枚、チーズ1枚)。

19:00      ややお腹が張るも陣痛は全く無。次回は歩くなどして21:00Kreißsaalに来るよう指示有。風邪で体調悪く睡眠不足のため、ちゃんと眠りたかったので1時間眠る。

21:00      分娩監視装置上、弱い陣痛が5分おきに始まる。陣痛の自覚症状は無。PDA(無痛分娩)を使うかもしれないことを想定して同意書作成。高野さんより呼吸法を教わる。

22:00    少し痛みの自覚症状発現。子宮口2cm開。高野さんの勤務終わり。

 

617日(月)】

1:30        子宮口4cm開。痛みが強くなってくる。呼吸法で痛みをコントロール。腰が痛くて、主人が持ってきてくれたテニスボールを腰の下に置くと痛み軽減。

2:45        痛み増加。呼吸法とテニスボールだけでは陣痛を乗り切るのが困難になり、鎮痛剤使用の希望をHebammeに伝える。鎮痛剤ブスコパン座薬2個投薬。痛み軽減、少し眠れた。

5:05     子宮口56cm開。陣痛の痛みがかなり強くなってきている。

5:15     耐えられなくなり、更に鎮痛剤使用を希望。メプティット点滴注射開始(5:158:15)。

5:40        メプティットの副作用、嘔吐7回発現。当副作用発現の不利益より、痛み軽減の利益の方が上回るため、メプティット使用して良かった。

7:40        子宮口7cm開。便意を感じたので、Hebammeに「便意を感じるが、これは、赤ちゃんが下がってきているからなのか?あるいはトイレに行くべきなのか?」と尋ねたところ、「赤ちゃんの可能性もある。トイレに行ってみましょう。」と言われトイレに行くも何も出ないため、赤ちゃんが下りてきているのだと感じる。陣痛を乗り切るため、いろんなポーズを試すも、効果無。

8:30        陣痛促進剤点滴注射開始。極めて辛い。Hebammeより呼吸法教わるも、痛み軽減せず。だけど、赤ちゃんに酸素を送り込むため、一生懸命、呼吸法を続ける。痛みで私が呼吸を忘れないように、隣で主人が呼吸法をしている。

9:25        子宮口89cm開。痛みに耐えられず、Hebammeに、「今からでもPDAを使うことは可能か?もし可能であれば、今、PDAを使った方が良いと思うか?使わない方が良いと思うか?プロの立場から教えてほしい。」と尋ねたところ、Marien Hospitalで最も勤務歴の長いベテランHebammeは、「私は今まで数多くの妊婦を見てきた。そんな中で、あなたはとても落ち着いている。とてもリラックスして出産に臨んでいる。もうお産は終わりに近づいている。あと1時間で子宮口は全開になる。だから、PDA無しでいけると思う。」とアドバイスされ、PDA使用しないこととする。

10:00      痛みが耐えられない。子宮口はまだ開ききらず。ここで、先のHebammeより、「さっきは、あと1時間で子宮口が全開になると思ったが、1時間では全開にならなさそうで、さらに時間がかかりそう。なので、もし、あなたが希望するなら、PDAを使用しましょう。」とPDA使用を提案される。即、「PDAを使いたい。」と答えた。Hebammeがすぐに麻酔科医に連絡をとってくれて、PDA使用の準備も整えてくれたけれど、麻酔科医は一向に来る気配無。なんとなく、私はPDAは使用できないのだな・・・と悟った。辛かったけど想定範囲内のことだったのでショックの気持ちはなかった。風邪、睡眠不足、前日の夕食以降、何も食べていないので体力も限界・・・で、私の息絶え絶えの様子に、主人が泣いているのが見えた。主人のお話だと、この時、Hebammeが、分娩監視装置の端子をどこに当てても赤ちゃんの心拍を確認することができず、Hebammeも少し焦った様子だったことから、主人は、「妻も赤ちゃんも死んでしまう。」と思って涙が出てきたらしい。・・・だけど、これはどうやら、単なる装置ボタンの押し間違えで、その後すぐに赤ちゃんの心拍確認できた。その後、Hebammeは何度も麻酔科医に電話してくれたけれど、救急外来にいて、結局、麻酔科医は現れることなくPDAは使用できなかった。

11:30      子宮口全開大10cm。主人のお話によると、この時、Hebammeの表情が明らかに安堵の表情に変わったらしく、それで主人もほっとしたと。陣痛に合わせていきむも赤ちゃんはなかなか出てこない。みんな、こんな思いをして出産したのか・・・と思うと、本当にみんな、すごいなぁと思った。私が息を吸うタイミングで、いきむ度に病院のスタッフと主人が、赤ちゃんが出てきやすい体勢になるようにしてくれて、スタッフ、主人、赤ちゃん、自分のチームワーク、連帯感を感じた。

13:30      いきんでもいきんでも赤ちゃんが出てこない。Dr.に「会陰が狭くて赤ちゃんが出て来れないので会陰切開してよいか?」と尋ねられ、早くこの状況から解放されたい一心だったので、即、「Ja」と答えた。パチンパチンと会陰を切開されるのが分かったが痛みはなかった。Hebammeに「赤ちゃんの頭が出てきたよ。髪が生えてるよ。触ってごらん。」と言われて、手を伸ばしたら髪の感触があった。その後、何度もいきんだ後、Hebammeが「あと1回いきめば赤ちゃんが出てくるから」と言い、主人も「最後の1回だから」と言うので、自分の残されたすべての力を振り絞っていきんだ・・・けれども赤ちゃんは出てこず・・・「あともう1回」と言われ、次にいきんだら、

13:46      赤ちゃんがズルンと出てきた。ホンギャーという擬音語通りの産声が聞こえた。2時間以上もいきんでいた訳だけれど、自分の感覚だとそれよりずっと短い気がした。主人が「生まれたよ。ありがとう。お疲れ様。」と言ってぽろぽろ涙を流していた。私は疲労困憊で安堵感と解放感。感動で涙が出たのは産後2日目だった。すぐに赤ちゃんが自分の胸の上に置かれた。生命の神秘を感じた。

 

PDAを使用できなかったことについては、後で高野さんに伺ったところ、麻酔科医は二人以上常勤しているため、上記のケースは稀だとのこと。退院後、夫婦で出産について振り返ったところ、あの時、PDAを使えなかったのは辛かったけれど、救急外来の患者が優先されるのは当然のことだと思うし、結果として、PDAを使えなかったからこそ、より感動的だったのではないか、と話しました。また、一旦は、PDA不要だとアドバイスをくれたベテランHebammeが、その後の様子を見て、PDAを使うことを提案してくれた、その臨機応変な対応にも感謝しています。痛みの感受性、お産の状況は人それぞれなので、その時々の状況を見て自分自身でPDA使用を判断することが大切だと感じます。

 

また、陣痛は硬膜外麻酔(PDA)しか効かないということで、日本ではブスコパン等の鎮痛剤はあまり使用されないそうで、確かに、陣痛の最後のマックスの痛みに対しては、鎮痛剤の効果はなくPDAしか効かないと思われますが、そこに至るまでに、体力温存という意味で鎮痛剤を使用して痛みを軽減させることは、睡眠や休息を与えてくれて有用でした。

 

中川先生、長い間、大変お世話になり有難うございました。妊婦教室でも多くのことを学ばせて頂きましたこと、心より感謝しております。中川先生のおかげで、幸せな妊婦生活と素晴らしいお産を経験することができました。そして、今、産後においても、中川先生の言葉がよく頭をよぎります。中川先生がおっしゃって下さった「子育ての基本は夫婦にある」ということを心に留めながら、これから子育てを通して、自分自身も成長していけるように努めていきたいと思っております。お世話になり本当に有難うございました。

 

2013726日)

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2008218日、午前716分にエバンゲリッシュクランケンハウスにて、第2子となる男児を自然分娩にて出産しました。

 

ドイツで妊娠をして、まず初めに悩むことは、病院のことでした。

幸い、デュッセルドルフには、中川先生がいらっしゃいますので、健診等で通う事になる産婦人科は悩むことなく、決めることが出来ました。

言葉の面でも不安も無く、そして女性でいらっしゃる先生の所で診てもらう事が出来てよかったです。

 

次に考えることは出産を日本でするのか、ドイツでするのか、ドイツでするとなるとどこの病院で産むのかでした。

私の場合は、一人目は日本での里帰り出産でした。

言葉の面での不安もありましたし、日本から手伝いに来てもらえる人がいなかった事、そしてやはり初めての出産でしたので、日本への里帰り出産に決めました。

主人が出張等で居ないことが多いため、やはり手伝い無しだと厳しいかとおもいました。

 

今回の出産では、出来ればドイツで産みたい!と思いました。

それは、上の子を連れてしかも私自身妊婦という身体でのフライトは大変だということもありますが、主人に生まれてすぐのわが子と会わせてあげたかったというのが一番の理由です。

上の子は生後2ヶ月の時にこちらへ連れてきましたので、初めて会えたのが産まれて2ヶ月。

写真などの画像では誕生時から見れていても、やはり実物とは全然違いますし、自分の手でしっかり抱いて欲しかったし、見て欲しかったのです。

この2ヶ月間の成長はとても著しいのです。

 

しかし、上の子も居る、主人も仕事で留守にすることが多いという状況でしたので、実家の母へ相談し、仕事に都合を付けてきてもらえることになり、こちらでの出産に決めました。

こちらでの出産を決めてから、中川先生の所で開催されていた妊婦教室に参加し、お産の流れから、こちらでの手続法等を学びつつ、それと合わせて出産する病院探しをしました。

デュッセル近辺で出産可能な病院のリストから、自宅から近いか、小児科が併設されているか、それに合わせて実際に出産した友達や知人からの情報を元に「エバンゲリッシュクランケンハウス」に決めました。

決めた大きな理由は、小児科が併設されている事と通訳さんをお願いできるという点でした。

ドイツ語が堪能でない私にとって、通訳さんを付けてもらえることはとても嬉しかったです。

出産自体は、2度目なのでなんとなく気持ちにも余裕がありましたが、言葉の面の不安が一番大きかったからです。

直接通訳さんに連絡を取り、予約、出産後・退院前検査の通訳を
お願いしました。

そしてこの3つが確実に病院で費用も持ってくれるのです。

 

病院をここにしようと決めはしたものの、実際に行ったこともなかったので、ホームページで調べ、毎月2回ほど開催されている両親教室のようなものへ行きました。

正直、説明会、質疑応答など何を話しているのか分かりませんでしたが、分娩室、新生児室を見学させてもらえたことが一番良かったです。

実際に見ていると、「ここで産むのか」となんとなく気持ちの準備も出来た気がしました。

 

自宅からの距離の問題ですが、よほど近くない限りはどこも変わらないと思いました。

実際に産気づいてから行くことになるのですが、この状況で公共の交通機関を利用していくわけではないので、タクシーもしくは自家用車であればどこも同じくらいの距離かと思いました。

 

病院の予約は通訳さんが病院へ連絡をしてくれて、予定日の約1ヶ月前に一緒に予約をしてくださいました。

予約は、ヘバメと面談のような感じで進みました。

その時に、入院費用のことや、入院の際の病室(一人部屋が良いか)のこと、そのほか聞きたいことを質問できました。

 

私は二人目の出産ということもあり、お産は早く進むと言われていました。

それと8ヶ月頃から子宮口は開いては居ないけど、柔らかいから開きやすいといわれ、早産の可能性もあるし、いざお産が始まれば早いから、すぐに病院へ行くようにと言われていました。

そして、上の子供が居るから無理かもしれないけど、なるべく安静に、抱っこも控えて・・・と言われました。

実際、やはり安静、抱っこしないということは守れませんでしたが、気掛けてなるべくゆっくり、気持ちだけでもゆったり過ごすようにしました。

 

このこともあって、日本から手伝いに来てくれる母の来独時期を母の都合も合わせて考え、予定日の2週間前に来てもらうことにしました。

これは、上の息子も予定日から2週間ほど早かったこともあり、そして全部で6週間在独してもらえることになっていたのですが、上の子もいて手がかかるので、出来るだけ産後に長く居て欲しくて、決めました。

そして、万が一母の来独が間に合わない、主人も居ない状況を考えて、周りのお友達や知り合い、隣に住むドイツ人の大家さんへも万が一の時は上の子をお願いできるように頼みました。

上の子が居なければ、一人で産気づいてもタクシーで病院へ行き、言葉が出来なくてもなんとか出産できるだろうとは思いますが、やはり上の子が居ると連れて行って・・・と言う訳にもいかないので、このことも問題でした。

 

実際、出産は予定日から10日早かったのですが、正期産の時期でありましたし、母も来独して1週間経って居たときでお兄ちゃんもすっかり慣れ、家のこともある程度教えて覚えてもらって、そして主人も家にいる時でした。

 

上の子は、破水から始まったのですが、今回は陣痛からでした。

正直、「陣痛ってわかるかなぁ・・・痛い!っていうのは覚えてるけど、どんな痛さだっけ?」と2年前の記憶をたどりつつ、予定日が近づくにつれ不安一杯でした。

 

夜中の3時過ぎに「ズ~ン」というような痛みが下腹部に感じました。

夜中にトイレへ起きるのは妊娠してからは毎晩で、ひとまずトイレを済ませ、またベットへ戻りました。

一応時間を見て。

痛み自体はそんなに強くなく、でも弱いけど痛い、気のせいでもないと冷静に感じることが出来ていました。

そしてその後も10~15分おきに痛みを感じ、「おかしい」と思いまず主人を起こしました。

「もしかしたら陣痛かもしれない」と話、病院へ出られる用意をしてもらいました。

夜中でしたので、その横で息子はぐっすり眠ってくれていました。

そして母を起こして息子をお願いしました。

 

中川先生からも、陣痛が始まったら生まれるまで短いだろうからすぐに病院へ行くようにといわれていました。

なので、主人に病院のクライスザール(分娩室)へ連絡してもらってこれから行く旨を話し、すぐに向かいました。

通訳さんへも連絡をいれました。

が、連絡が付かずひとまず留守番電話にメッセージを入れて病院へ向かいました。

 

夜中でしたので、幸い道も空いており10分かからずに到着。

その頃陣痛の痛みも10分間隔ほどで痛みも強く感じるようになっていました。

病院へ行くと、すぐにクライスザールへ通され、ヘバメと挨拶を交わし、ベットへ横になり、子宮口のチェック、赤ちゃんの心電図を測りました。

やはり痛みは間違いなく陣痛だったし、子宮口も開いていて、そう遅くない時間に生まれるようだと言われました。

 

ベットの横になり、定期的に来る陣痛を腹式呼吸で耐えつつ、陣痛の合間にはヘバメから子宮口の状態や赤ちゃんの状態を聞き、隣で主人が通訳してくれて、私が答えて・・・というやり取りをしたりしました。

陣痛は勿論痛いのですが、2人目だから気持ちに余裕がありました。

そのせいか、オシッコをしたくなりました。

もうすぐ生まれるだろうけど、行っておきたいなと。

これも余裕のおかげなのでしょうか。

ヘバメへ話すと、「本当にオシッコ?大きいほうじゃない?どうしても行きたいの?」と聞かれました。

でもやはりどうしても行っておきたくて、行かせてもらいました。

「絶対に息んじゃダメよ」と念を押されましたが、勿論生まれちゃいますから息みませんでした。

 

途中、時間でヘバメの交代がありました。

きちんと状態などの伝達もされていたようで、主人が最初に「へその緒を切らせて欲しい」とお願いしていたことも伝わっていました。

私の友達は、お産が長くかかってヘバメの交代も何度かあったせいか、ご主人がへその緒を切りたいといっていたにもかかわらず、ヘバメが切ってしまい、切れなかったそうです。

 

陣痛の痛みも徐々に大きく、そして感覚も短くなり、今まで部屋から出て中々戻ってこなかったり、ウロウロと色々やっていたヘバメもベットのそばに付きっきりになりました。

気づいたら女医さんも横にいました。

私自身も痛みに耐えるのが精一杯。

分娩台は普通のベットで、頭のところが角度を付けられるようになっていて、少し高くしてあるだけで、掴まれるものも何も無かったので、こぶしを力強く握ったり、主人に手を握ってもらったりして、耐えました。

 

「次に痛みが来たら、大便をするような感じで息んで!」とヘバメから言われました。

 

そして、陣痛が来て力いっぱい息みました。

無事に出産、その瞬間力が全部抜け、「終わった・・・」と落ち着きました。

 

陣痛が始まってから約4時間、朝の7時16分に出産しました。

そして念願どおりに主人はへその緒を切らせてもらいました。

その後すぐに赤ちゃんを私の胸の上に連れてきて、抱っこしました。

日本でも最近良く行われている「カンガルーケア」です。

間近で生まれたばかりのわが子を抱き、目の前にし、この時やっと感動がこみ上げてきたように思いました。

それまでも、勿論感動してましたが、力尽きた!という気持ちのほうが大きかったように感じます。

そして、ヘバメが赤ちゃんの身体を洗ってくれ、身長体重計測。

身体を見て異常が無いかチェックしたりしていました。

 

私の身体は、産むときに会陰切開したようで、その傷を女医さんが縫ってくれました。

その間、主人へは子どもの名前など色々質問されていたようです。

 

私はその後、シャワーを浴びたいかを聞かれ、「産後すぐいいの?」と驚きながらも、身体も動ける余裕があったし、サッパリしたかったので、クライスザールのすぐ隣にあったシャワーを浴びに行きました。

 

戻ってきたら、赤ちゃんの腕に名前入りのビーズブレスレットがしてありました。

これは退院時そのまま貰えました。

きっと取り違えなどの防止にもなっているのでしょう。

 

ドイツでは、出生届を病院の事務がやってくれます。

2日以内に書類をだすのですが、まだ名前をはっきり決めていなかったので、そのときのブレスレットには苗字でしてもらいました。

 

名前ですが、上の子の時に性別もお楽しみにしていて、男女の名前の候補を色々考えてはいましたが、実際生まれてから顔を見てみると「なんか違う・・・」と感じ、日本とドイツと離れていましたが、電話で話し合って二人で考えて決めました。

ですので、この二人目の時も産まれてすぐに名前を聞かれましたが、まだハッキリ決めておらず、二人で後で決めました。

 

出産後しばらくクライスザール横の廊下でベットに横になり過ごしました。

そこに赤ちゃんを連れてこられ、授乳をしました。

 

しばらくしたらベットごと入院病棟へ移動。

予約の際に1人部屋を希望していましたが、一杯のようで、3人部屋でした。

そのうちの1人は私とほぼ入れ替わりに退院のようで、2人になりました。

「空いたら一人部屋へ移れますから」と言われましたが、実際、入院期間の殆ど

を二人部屋で過ごすことになりました。

 

退院は自分で決められますが、私は主人が翌日から出張で不在だったため、月曜に出産して、土曜日まで入院しました。

 

病院で食事は、朝晩はパンにハム・チーズ・生野菜・ヨーグルト等。

いくつかの種類から食べたいものを希望できました。

昼食は温かい物で、5種類ほどのメニューから選ぶことが出来ました。

果物も、りんごやキウイが丸々1個付いてきたりしたので、小さいナイフなどがあると便利でした。

食事の際に飲み物を選べますが、私は母乳を出すために、STILL TEEを毎回頼みました。

 

飲み物はガス入りの水が1㍑瓶で2本ほど毎日常備して貰えます。

お湯とコーヒーは、廊下の途中においてあり、自由に使えました。

が、赤ちゃんから目を離してはいけないし、連れて行くとなるとベビーベットに乗せて・・・なので、中々もらいには行けませんでした。

 

病室には、トイレとシャワーが付いていました。

 

赤ちゃんは自室に連れてきても良いのですが、オムツ換えは新生児室で行わなければなりませんでした。

部屋からの移動は、必ずベットに乗せての移動でしたので、結構面倒くさい感じもしました。

新生児室には専門の看護師さんもいるし、授乳室もあるので、ゆったりしたイスに座って授乳も出来ました。

私は、ドイツ語が出来ないし、二人目ということもあり、聞くこともあまり無かったし、看護師さんも「何かあれば聞いて」とだけ言ってくれました。

でも、言葉が出来なくても、わかりやすい単語や英語も使って、色々と親切に話してくれました。

 

「あなたは二人目だから大丈夫ね」といいつつも、たまに病室へ尋ねてきて「問題ない?」と聞いてくれたり、適度な接し方といいますか、私にとって丁度いいくらいの感じで、あまりストレスに感じることもなく過ごせました。

 

病室の看護師さんもですが、こちら側から色々といわない限り、必要最低限しかやってくれないので、何か要求があればしっかり伝えることが大事だと思います。

 

私は、トラブルや問題は殆どありませんでしたが、ただ入院中、大きい方が全くでなくて苦しみました。

二人部屋でゆっくりトイレに入れない事もあるのでしょうが、やはり産後は力めないんです。

あと食事も関係しているかもしれません。

 

毎朝、先生の問診、初日と退院前には触診もありました。

その時にこの事を伝えて、下剤を出してもらいました。

ドイツ語で話せませんでしたが、以前この座談会に参加したときに頂いた、用語集を持参していて、片言のドイツ語と指差しで、上手く伝えることが出来ました。

ですので、電子辞書やこのいただいた用語集が大活躍します。

 

赤ちゃんの退院前の健診の際に、小児科の先生が診てくださいますが、その時に色々と聞きたいことがあれば聞けます。

黄疸の数値が少し高かった為、退院予定当日も朝から採血して検査しました。

その結果、その時は大丈夫で退院できたのですが、まだ少し高めだということで、翌日も検査に来るように言われました。

その後、数日置きに2度程通いましたが、入院治療等もすることなく済みました。

 

帰宅してから現在、二人の子育てにバタバタです。

ですので、妊婦の間に無理しない程度に色々とご主人と外出したり、楽しむ事をお勧めします。

 

今は、上の子も幼稚園へ通いだしましたが、1歳半の下の子にまだまだ手がかかり大変です。

そして今、3子目を授かり、来年2月に出産予定なのですが、また、ドイツでの出産を希望しています。

日本とドイツ、それぞれの出産を経験しましたが、また「ドイツで産もう!」と思っています。

 

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 中川先生

このたびの出産では大変お世話になりありがとうございました。

220日(月)1620pmに3440gの男の子を出産し、

23日(木)に母子共に元気に退院いたしました。

当日は、お昼頃からなんとなく「陣痛かな?」と感じはじめ、

300pm頃入院、420pmには出産となんだかあっという間の出来事でした。

2人目は進行が早いと聞いていましたが、本当に早くて驚きました。

上の子のときと違って、こちらに少し余裕があるせいか

赤ちゃんもよく飲んで、よく眠ってくれて助かっています。

ロンドンからこちらに引越してきて、病院のシステムが日本とも英国とも違うので

とまどっていた部分もありましたが、先生と出会えて、またタイミングよく

母親学級にも参加することができて、本当によかったと思っております。

母親学級の最後の日にいただいた先生からのメッセージを忘れず

「和のある家庭」を作っていきたいと思います。

本当にありがとうございました。

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 ドイツでの出産

出産日:2005115

場所 :マリエンホスピタルにて自然分娩

 

ドイツで妊娠をし、まず悩むのがドイツか日本かどちらで産むかということ。私もいろいろ考えましたが、ドイツで産めるという経験なんてめったにないことだと思い、こっちで産もうと決心した。ドイツは、日本より医学が発達しているし、全て保険でまかなわれるし、お産のスタイルを自分が決められるというのも魅力だった。もちろんデメリットもいろいろあったが、最終的には自分とわが子を信じよう、家族で支えあおうと思い、こちらで産むことに決めた。

そうなれば、病院選び。人によって言うことは違うが、マリエンホスピタルに決めた。知人が働いていたからだ。あとになって知ったことだが、日本人の助産婦さんも研修でいた。

(これは心強かった)各病院では、ELTERNABENDという説明会が定期的に行われている。大きいところだとエバンゲリッシュで60人ほどが集まっている。みんな質問をするので2時間くらい質問コーナーが続く。ドイツ語が堪能なら問題はないが、そうでなければ妊婦にとって座っているのも苦痛だろうから、見学したい旨を伝えて見に行くのが一番良いと思う。アポをとっていたとしても、急に分娩が始まったりすると忙しいらしいので、「今から行きますけど」というように連絡したほうが病院側も都合がいいらしい。エバンゲリッシュやUNIは小児科があるのでその点では安心だが、そのほかの病院でも24時間体制で小児科付属の病院に何かあれば送ってもらえるということだ。マリエンを決定するときにはそのことだけがちょっと心配だった。

 

痛みに弱いと思った私は、マリエンホスピタルで無痛分娩を希望し、教授に2度アポをとり、主人にまで事前に病院で面談してもらった。準備は万全のはずだった。

母子共に順調でこれといった問題もなく予定日1週間前から少量の出血が始まった。

それから2日後の晩、ちょっとした異変に気付いた。なんとなくおなかの痛みが定期的なような気がした。妊婦教室で「初産は24時間仕事だ」と言われたから落ち着けた。2時間ほどで用意を済ませ、時計は午前3時前だった。10分おきの陣痛になった時点で電話をした。「初産ならお風呂に入ってまだまだ我慢して」というのが病院側の対応だった。ドイツでもそうなのか・・・。耐えられないと思い、かなりの意志を伝えたつもりであったが、病院はあいにく工事中で十分な施設がないため、できるだけ家で待機したほうがよいとのことだった。仕方なく再度風呂に入って陣痛をしのいだ。それでもまだまだなんだろうな~とあきらめの境地でなんとかねばること更に2時間。なんともう3分おきの陣痛になっていた。やっと病院の許可がおり、主人と病院に着いたのは朝5時半だった。

なんとか主人にひきずられるように診察室までたどりついた。ああ、やっと・・・と思ったがそこからが長かった。ヘバメ(助産婦)がやってきて、「まず赤ちゃんの心電図を計るわね」と言ってなにやら数十分。「ああ、子宮口は、もう5センチね。いい感じだわ。」といわれたが「え、まだ5センチ?10センチまでまだまだではないか・・・」と呆然。「それから、これを記入してくれる?」と渡された書類なんと4枚。当たり前だがドイツ語。陣痛が消えたときに「あなたが言ってくれたら私はJAかNEINと答えるわ」と伝えた。日本ではどうなんだろう。私はこの事態を避けるために3回も病院に足を運び書類をすべて記入したいと伝えたはずだった。早く無痛分娩して!それを繰り返すだけの私だった。ヘバメは言った。「OK、でも無痛分娩にするには血液検査が必要だからここからちょっと離れてるけど、ついて来てください。」歩くしかない。陣痛がないときを見計らって・・・といきたいところだがなにせ3分間隔で、オラウータンみたいに主人にしがみつきながら、気力のみで歩いた。私は手首から血をとられ、無痛分娩の準備ということで背中を丸めて待った。しかし、待てども待てどもそれをする気配がない。

ヘバメは言った。「検査をしてから30分は結果を待たないといけないの。」と。でも病院に着てから既に1時間半経っていた。土曜の早朝という時間も悪かったのかもしれない。が、スタッフも少なく、約束だったはずの無痛分娩ができそうにもないということを実感してきた。教授は週末の早朝だから不在で別のお医者さんだった。スタッフの一人が私に伝えた。「朝7時だからそろそろ私は帰るわね。代わりの人が来るから。」と。その間数分だっただろうか。私と主人は二人っきりになった。そのとき、猛烈な痛みになった。とっさに主人に叫んだ。「誰かよんで来て。まずい。」出したらいいのか待たないといけないのかわからない。ヘバメがやってくると「あ、もう頭がでてきてるわ。ここで出してみる?」といきなりそこから自然分娩になってしまった。ここが分娩室だったとは。とほほと思いながら、がんばること30分。無事、元気な赤ちゃんを産めた。産後は、何度言ってもイスラム教用の食事で出されたので困った。退院後、助産婦さんが数回来て下さったのはとてもよかった。安心したし、体が痛いときにいろいろ必要なものを持ってきてもらえて助かった。

出産のスタイルは選べなかったのが非常に残念ですが、終わってみればよい思い出になりました。

これから出産を迎える方へのアドバイス:

役立ったのは、中川先生の妊婦教室。これで妊婦仲間もできて、今、楽しい仲間がいます。仲間がいるというのは心強いし、なにより子供たちの友達がいっぱい生まれる前からいるなんて、なんて恵まれているんだろうと思います。

羊水検査は、すばらしい技術だと思った。羊水検査専門施設で安心できた。

自然分娩、または帝王切開が決まっている人はドイツでの出産に問題はないと思います。無痛分娩を希望している人は、できない可能性もあると思います。(私も含めて)無痛分娩が出来なかった人は、土曜日の出産でした(聞いただけで3人います)。

会陰切開および抜糸、剃毛、浣腸などは全くないのがドイツでは主流。

入院中の食事はどこもあまり期待できない。

母乳信仰が日本より高く、母子同室が基本。

私は日本での出産をしたことがないので比較はできませんが、妊婦教室では2割の方が帰国されました。

初産だと不安ですが、結局出産および入院は、だいたい4日から1週間のことです。長いようであっという間です。問題はそのあとです。妊婦の時には「産んだら何とかなるだろう」と思っていましたが、相手は「生き物」ですし、私は産んだ日から「母親」として見られます。出産後は熱が出たりおっぱいが張って痛かったり、全身も疲労している中、昼夜とわずの赤ちゃんのお世話が待っています。この期間をどうのりきるかということだと思います。出産をどちらでするかというよりも、この期間をいかにストレスなく乗り切るかということが、私にとっては課題にしておけばよかったと思いました。娘はあと1ヶ月で1歳になりますが、未だに夜何回も起きますので、連続して6時間寝たことはまずありません。子育ては、長期戦で忍耐、体力あるのみだと痛感しています。

さまざまな条件が人によって違うので、自分ひとりで悩まずに周囲(家族、病院)などに相談して決めていくほうが良いと思います。

最後になりましたが、中川先生がいらっしゃったから、ドイツでの妊婦生活、そして今に至るまでがとても心強いものになりました。妊婦教室で最後に教えていただいた「夫婦仲良く、それが子供にも大切だ」とおっしゃった言葉を胸に生活しています。

改めまして、御礼申し上げますと共に今後ともよろしくお願いします。

出産前日午前3時頃おしるしがありその日午後11時頃より10分間隔になったので翌日午前2時半に病院へ行った。

まず着替えて子宮口の確認。1cmだった。そしてドクターの診察、超音波検査と点滴確保の注射。その後は分娩室でCTGと点滴をつけて夫とゆっくり過ごした。だんだん陣痛間隔が狭くなり、予め希望を伝えたあったPDA(硬膜外麻酔)を午前8時頃した。陣痛の痛みがあったせいかPDA注射の痛みはあまり感じなかった。その後麻酔が効きとても気持ちよくなり眠くなってしまった。

しばらくして、胎児の心拍が低下するということが3度起こってしまい、そのたびにわたしの腹式呼吸で懸命にお腹に酸素を送り込んだ。膀胱に溜まった尿や陣痛の圧迫も胎児にストレスを与えるということでそれらを助産師に取り除いてもらいながらひたすら腹式呼吸。そして午後2時前になったころ、このままでは胎児が危険な状態になってしまうため吸引をすることになり、陣痛促進剤を入れ陣痛の波にあわせていきむこと数十回午後217分やっと産まれた。赤ちゃんは心拍低下によるストレスを持って産まれてきたこと、2490gと小さいこと等の理由によりお腹の外の世界への適応が難しかったため産まれてすぐ経過観察のため小児科に入院した。わたしは分娩室で1時間休んだ後ベットに乗ったまま病室へ移動した。

入院生活は個室(シャワー/トイレ付)で過ごした。病院の食事は朝と夜はほとんど同じもの(パン、ハム、チーズ等)がビュッフェスタイル、ランチは3種類のメニューから選ぶ温かい食事で前日に希望を聞きにきた。入院中は、傷口の消毒等不快なことがあったら看護師看に言わないと向こうから特に気遣うことはなかった。ただ言えば丁寧な対応をしてもらえたので些細なことでも何でも言うことを心がけた。

2日後に戻ってきた赤ちゃんと新生児室で毎日授乳指導を受けた。わたしが見た限りでは授乳指導を受けている他の親子はいなかったので全員が受けることではないようだが、この指導はとても役に立ったし看護師とも仲良くなれ、入院中にいろいろ聞いたり頼んだりしやすくなったため指導を受けてよかった。こうして78日の入院生活を送った。

ドイツでの出産に最初は不安があったが、中川先生とともに妊娠生活を過ごすことより前向きになりなんとか無事に出産することができ今ではドイツで出産を経験しとても満足している。

中川先生、ありがとうございました。

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